川内大綱引!ワッショイ!ワッショイ!

400年以上の伝統を誇る川内大綱引(県指定無形民俗文化財、同保存会主催)が薩摩川内市大小路町の国道3号で行われました。

さらし姿の男衆約3千人が上方、下方に分かれ、熱い肉弾戦を繰り広げました。

「けんか綱」の異名を取る大綱引は、午後8時15分すぎ。

一番太鼓を合図に始まり、相手方の引き手を妨害する「押し隊」が最前線で激しくぶつかりました。

一進一退の攻防で、30分にわたりこう着する場面もありました。

下方優勢で迎えた終盤、上方がこん身の力で綱を自陣に引き込み、一気に逆転。

約1時間半の戦いを制しました。

通りに立ちこめる男衆の熱気に、観客も「ワッショイ、ワッショイ」と声を張り上げ、拍手で奮闘をたたえました。

島津義弘が関ケ原の戦いに向け、兵士の士気を高めるため始めたとされています。

開始前には、一般客が大綱を引く「市民綱」もありました。


日本一の大きさ・重さを誇るジャンボ綱を男たちが一斉に引き合う川内大綱引。

いわゆる普通の綱引きとは全く異なる薩摩川内市の伝統行事です(鹿児島県指定無形民俗文化財・薩摩川内市指定無形民俗文化財)。

体と体が激しくぶつかり合うその様は“喧嘩綱”とも呼ばれ、見るものを圧倒します。

川内大綱引は、慶長年間(1596~1614年)に始まったとされ、一説には関が原の合戦の際、第17代島津義弘が兵士の士気を高めるために始めたと言われています。

また綱引そのものは隣国韓国にそのルーツがあるとされ、これをいわゆる青少年教育である郷中教育(子弟制度)の中に取り入れつつ継承されてきたものであるという説もあります。

以来、大綱引は川内の人々の心に強く根付き、中秋の名物として受け継がれてきました。


このような400年以上にもおよぶ歴史と伝統を守り、後世に伝えてゆくために、昭和60年7月に川内大綱引保存会が設立され、地域の文化振興・商工観光に勤めています。

川内大綱引は、一般的ないわゆる綱引きとは異なり、独特のルールで行われます。

上方(赤)と下方(白)に分かれ、それぞれ大きく4つの部隊で構成されます。

①太鼓隊 一番太鼓から十番太鼓まで、一列に並んで一斉に太鼓を打ち鳴らします。引き隊は、この太鼓の合図に合わせて綱を引くので、攻撃を指揮する重要な役目です。

②引き隊 綱を引く部隊です。太鼓隊の合図に合わせ、大綱にくくりつけた「引き綱」を一斉に引きます。

③押し隊 相手の陣地に突進してぶつかり合い、敵の体制を崩す部隊です。川内大綱引が“けんか綱”と言われる由縁でもあります。

④ワサ係 綱が相手から引かれ形勢不利となった際に、それ以上引かれないように綱の最後尾にある「ワサ」を、中央の「ダン木」にかけます。

一定時間たつと綱にノコが入れられ、綱の中央が上方にあるか下方にあるかで勝敗が決まります。

川内大綱引で使用される綱は、全長365m、重さ6トンにも及び、名実ともに「日本一の大綱」です。

大綱引開催の当日朝より、自衛隊川内駐屯地や建設業協会、地元高校生などのほか参加者一丸となっておよそ10時間にもおよぶ「綱練り」が行われます。

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