高橋由一約130年前に描いた油彩の肖像画見つかる!山田荘左衛門顕善
高橋由一(国内で最初の本格的な洋画家、1828~94年)が約130年前に描いた油彩の肖像画が、2010年に続き、中野市内の民家で新たに見つかったことが分かりました。
1枚目と同様、北信濃の豪農として知られる中野市江部の山田家11代当主、山田荘左衛門顕善(やまだ しょうざえもん けんぜん)を描いた作品。
日本洋画史を研究する上で貴重な作品が、また中野で発見されたことになります。
肖像画は、山田荘左衛門顕善の日記から、前回発見された作品と同じ1883(明治16)年に63歳の山田荘左衛門顕善を描いた作品と分かりました。
山田荘左衛門顕善は、1883年4月12日に上京し、高橋由一に肖像画を依頼。
代金40円20銭(現在の約23万円に相当)を支払ったとの記述に続き「油絵肖像額二枚代」とあり、肖像画は2枚存在しているとみられていました。
2枚の肖像画は、額を含めた絵の大きさ(縦62センチ、横50センチ)や着物、上半身を描いている点は同じ。
見つかった作品は、顔の向きが正面に近い角度で描かれた点が異なります。
前回は、山田家から市に寄贈された資料の中から発見されましたが、今回は市内の民家で見つかりました。
東京芸大大学美術館の古田亮准教授らが、高橋由一の作品と確認。
所有者が「貴重な文化財として後世に伝えて」と市に寄贈しました。
匿名を望んでいるそうです。
古田亮准教授によると、高橋由一は、国重要文化財の代表作「鮭」などでも同じ画題で複数の作品を残しています。
「1枚残っているだけでもすごいこと。制作に至る過程が資料で明らかな当時の油絵は国内で唯一だろう」とし、肖像画のポーズが異なるのは「山田荘左衛門顕善がちょっと違ったものにしようと注文し、高橋由一が応じたのではないか」と想像しています。
高橋由一は、江戸生まれ。
写実的な表現が特徴で人物画も多く、記録から300点ほどの作品を残したとみられ、このうち80点ほどが確認されています。
新たに見つかった作品を修復し、一般公開する予定だそうです。
1枚目と同様、北信濃の豪農として知られる中野市江部の山田家11代当主、山田荘左衛門顕善(やまだ しょうざえもん けんぜん)を描いた作品。
日本洋画史を研究する上で貴重な作品が、また中野で発見されたことになります。
肖像画は、山田荘左衛門顕善の日記から、前回発見された作品と同じ1883(明治16)年に63歳の山田荘左衛門顕善を描いた作品と分かりました。
山田荘左衛門顕善は、1883年4月12日に上京し、高橋由一に肖像画を依頼。
代金40円20銭(現在の約23万円に相当)を支払ったとの記述に続き「油絵肖像額二枚代」とあり、肖像画は2枚存在しているとみられていました。
2枚の肖像画は、額を含めた絵の大きさ(縦62センチ、横50センチ)や着物、上半身を描いている点は同じ。
見つかった作品は、顔の向きが正面に近い角度で描かれた点が異なります。
前回は、山田家から市に寄贈された資料の中から発見されましたが、今回は市内の民家で見つかりました。
東京芸大大学美術館の古田亮准教授らが、高橋由一の作品と確認。
所有者が「貴重な文化財として後世に伝えて」と市に寄贈しました。
匿名を望んでいるそうです。
古田亮准教授によると、高橋由一は、国重要文化財の代表作「鮭」などでも同じ画題で複数の作品を残しています。
「1枚残っているだけでもすごいこと。制作に至る過程が資料で明らかな当時の油絵は国内で唯一だろう」とし、肖像画のポーズが異なるのは「山田荘左衛門顕善がちょっと違ったものにしようと注文し、高橋由一が応じたのではないか」と想像しています。
高橋由一は、江戸生まれ。
写実的な表現が特徴で人物画も多く、記録から300点ほどの作品を残したとみられ、このうち80点ほどが確認されています。
新たに見つかった作品を修復し、一般公開する予定だそうです。