舘山城の石垣の一部を発見か

仙台藩祖伊達政宗ら伊達家3代が米沢支配時代(1548~1591年)に本拠とした可能性がある舘山城跡の発掘調査で、米沢市教委は、本丸跡付近の石塁とみられている遺構の下部から、数個の切り石から成る石積みを発見しました。

石垣の一部とみられています。

石積みは、2カ所の遺構のうち、1カ所で見つかり、7、8個の切り石が積まれています。

一つの石の大きさは、推定で縦約60センチ、横約90センチ、奥行き約60センチ。

切り石の上部には大量の丸みを帯びた石が積み重なっています。

米沢市教委は、切り石の形や積み方から、石垣の一部ではないかとみて、丸みを帯びた石との関連性などを精査をしています。

舘山城は、晴宗、輝宗、政宗の伊達家3代の本拠地だったとみられていますが、文献の裏付けが少ないそうです。

米沢市教委は、二つの川に挟まれ、城下を一望できる丘陵に城が立地する仙台城との酷似点に着目。


二の丸などの居館を周辺に配する構造は、岩出山城とも共通していることから、仙台城の原型とみて調査を続けています。

本丸跡の本格的な発掘調査は、7月に着手。

これまで石塁と見られる遺構の周辺から大量の丸みを帯びた石、柱穴とみられる四つの遺構、土鍋片約20点などが見つかりました。

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