イギリス海岸・宮沢賢治の命日に姿現す!

岩手県花巻市上舟渡の北上川西岸で宮沢賢治が命名した「イギリス海岸」が賢治の命日の21日を前に姿を現し訪れた人を楽しませています。

普段は水没していますが今年は少雨で水位が大幅に低下し近年にない大規模な出現となりました。

国土交通省岩手河川国道事務所によると、付近の18日の水位はマイナス50センチで海岸が見える目安とするマイナス40センチよりも低い。

英仏を隔てるドーバー海峡の地質に似ているとされ命名のもととなった白い泥岩層が複数箇所で露出し下りることができます。

近くに住み、遊歩道などの清掃に取り組む「ドーバーファーム市民の会」の佐藤匡男会長は「これだけ見えるのはめったにない」と驚きの様子。


最近では、渇水だった1994年に次ぐ出現規模だといい「クルミの化石を見つけたり、泳いだりした昔を思い出す」と懐かしそうに話しました。

岩手河川国道事務所は2007年から賢治の命日にダム放流を限界まで制限して海岸出現を試みていますが今年は既に限界に達しています。


「イギリス海岸」は、国指定名勝「イーハトーブの風景地」の一つです。

北上川と支流猿ヶ石川の合流点から南にかけての北上川西岸に、イギリスのドーバー海峡に面した白亜の海岸を連想させる泥岩層が露出することにちなみ、宮沢賢治が「イギリス海岸」と名付けました。

現在は、北上川水系のダム整備による河川管理が進みましたので、北上川の水位が特に下がった時期だけ泥岩層が露出します。

宮沢賢治は、日本の代表的な詩人・童話作家として花巻が誇る人物で、明治29年(1896年)8月27日に花巻で生まれ、昭和8年(1933年)9月21日に37歳のとき花巻で没しましたが、大正10年(1921年)12月(25歳)から大正15年(1926年)3月(29歳)までの約4年3か月の間、稗貫郡立稗貫農学校(大正12年(1923年)4月1日、郡制廃止に伴い岩手県立花巻農学校となる。)の教員を勤めていました。

文学作品「イギリス海岸」は、稗貫(花巻)農学校の夏休みの農場実習の合間に、宮沢賢治が生徒たちを引率して町の人たちの水浴場となっていた「イギリス海岸」を訪れ、校長先生と一緒に北上川で泳いだり 、動物の足跡や炭化した胡桃の化石を発見した際の、生徒たちや町民 や自然との心の交流の経験を基に書かれたようです。

この「イギリス海岸」のイメージは、宮沢賢治の短編作品「イギリス海岸」や、幾篇かの詩や童話に登場するほか、長編作品「銀河鉄道の夜」にも「プリオシン海岸」の名で登場するばかりではなく、「イギリス海岸の歌」という曲まで自ら作詞作曲していますので、ここが宮沢賢治の創作活動に重要な影響を及ぼした場所であったことが分かります。

「イギリス海岸」など岩手県内の多様な風景は、地形・地質に詳しい宮沢賢治の観察眼を通じて科学的に捉えられ、創作活動の重要な基となって独特の自然観・世界観の醸成に大きな意味を持ち、やがて宮沢賢治の心の中における理想の大地としての日本岩手県「イーハトーブ」へとつながっていきました。

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