武田神社で重量4トンのさざれ石奉納式典!

山梨県甲府市の武田神社(土橋勝夫宮司)で「君が代」でも詠まれているさざれ石の奉納式典が行われました。

式典には神職や総代など20人が出席。

拝殿で奉納報告祭などを行った後、さざれ石のお清めをしました。

さざれ石は、数野三郎総代が武田神社御創建100年記念に向けて奉納。

主要産地の岐阜県揖斐川町に出向いて選んだそうです。

神社の担当者によると、さざれ石は縦約1メートル、横約2メートル、高さ1メートル、重さ約4トン。

山梨県内では最大級の大きさで全国でも重さ3トンを超えるさざれ石は珍しいそうです。

石は姿形が亀のように見えることから土橋宮司が「亀石」と命名し本殿脇に備えました。



武田神社は、武田信玄公を御祭神としてお祀り申し上げております。
信玄公はあらためて申すまでもなく、我が国戦国時代きっての名将であります。
大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えますが、21歳の時に国主となって以来30年余、緒戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛されました。
而して、現在でも県民こぞって「信玄さん、信玄さん」と呼びならわし敬慕の情を表し、郷土の英雄として誇りともする所以であります。

大正4年、大正天皇のご即位に際し信玄公墓前に従三位追贈(じゅさんみついぞう)が奉告されたのを契機に、ご遺徳を慕う県民に武田神社ご創建の気運が沸き上がり、官民一体となった「武田神社奉建会」が設立され、浄財によって大正8年には社殿が竣工、4月12日のご命日には初の例祭が奉仕されました。
爾来、甲斐の国の総鎮護として祟敬を集め、平成11年にはご創建80年を迎え、祈祷殿「菱和殿(りょうわでん)」のご造営を始めとして各種記念事業が展開されています。

甲斐の国の守護神であるばかりではなく、やはり「勝運」のご利益が挙げられます。
勝負事に限らず「人生そのものに勝つ」「自分自身に勝つ」というご利益を戴かれるとよいでしょう。
また、農業・商業・工業を振興されたことから産業・経済の神としても信仰を集め、民政の巧みさから政治家の方々からはまさに神として祟敬を集めております。

武田神社は、信玄公の父君信虎公が永正16年(1519年)に石和より移した躑躅ヶ崎館跡に鎮座致しております。
この館には信虎・信玄・勝頼の三代が60年余りにわたって居住し、昭和13年には国の史跡として指定されました。
館跡には当時からの堀、石垣、古井戸等が残り、信玄公を始め一族の遺香を現在まで伝えると共に、神社創建の折、県内各所より寄進を受けた数百種類の樹木が四季折々の風景を見せます。
また、境内にある「三葉の松」は全国でも珍しく、黄金色(こがねいろ)になって落葉することから、身につけると「金運」のご利益があるといわれております。

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